第4話

 約束をしていたけど、正確な時間まではわからなかった。
 だから、水無月が玄関から出てきて内心、ようやくかと肩の力が抜けた。どれだけ待ちわびていようとも、夏の日差しは容赦なく降り注ぎ、俺の決意を端からじりじりと削っていたから。

「元気ー……ではないか」

 久々に見た水無月の顔は不健康そのものだった。
 目の下に隈がくっきりと浮かんでいて、寝れていないのがよくわかる。初雪のように汚れのない白さだった肌は青白くなっていて、まるで病人のようだ。
 後腐れなくスッキリしている……わけでもなかった。

「なんか、水無月には悪いけど、その顔見て心配より先にちょっと安心した」
「……どうして?」
「気にしてるのがわかったから」

 きまりが悪いそうに、水無月は視線を落とした。
 意識されてるから安心した、っていうのは結構酷いか。でも、開き直ったようにいつもの調子だったら、ムカつく自信があるのでいまだけはこれでいいと思っておく。心配はあとに回す。
 黒い玄関門を握る水無月の手が白くなる。

「……なんで来たかはわかってます。私がなにも言わずにいなくなったからですよね? それは――」
「あー……いや、いいや、もう」
「はぃ? いい? もう?」
「うん」

 目を丸くする水無月に、俺は笑ってみせる。

「なんかその顔見たら、どうでもよくなった」

 濃い隈が出るくらい水無月が気にしているのはわかった。仲よくしていたと思っていたのは俺だけだったのか? なんてのがただの被害妄想で、水無月だって平然としていないことも。
 本当は全部聞き出して、文句を言うつもりでここまで来たが、それがわかっただけで納得してしまった。なら、いいかなって思うくらいには、水無月が弱っているから。

「だから、いいよ。そうだな、せっかく来たし、どっかでなにか奢ってくれれば」
「……くない」

 湿った温いそよ風に消えてしまいそうな声。
 思わず聞き返すと、勢いよく顔を上げた水無月が「よくないっ!」と叫んだ。その感情の落差、激しさに俺は目を剥く。

「いいわけがないでしょっ? だって、私のせいなんだ、私がいけないんですっ! 勝手に分室を辞めたのも、学校を辞めたのも! 私が勝手に決めたんですから!」
「あ、あぁうん、だよな。でも、なんか事情があったんだろ?」
「事情?」水無月が嘲るように鼻で笑う。「あります、ありましたよ。でも、それは逃げただけ。認めたくなかったんです――鷹宮との出会いがただの偽物だったなんて……!」
「……は? 偽物?」

 思いもしなかった告白だった。
 突然、学校を辞めた理由を聞き出しに来ただけなのに、それがどうして俺の出会いの話になるのか。それも偽物ってなんだ? 初めて屋上の踊り場で会ったが、あれはただの偶然でしかなかったはずだ。
 俺の考えが透けて見えたのか、水無月が悪ぶるように口角を釣り上げる。

「私の恋愛能力は【運命の人と出会う】なんです」

 君ならわかりますよね? と、細く鋭くなった黒い瞳が問いかけてくる。
 つまり、俺と水無月の出会いは必然で、偶然でも運命でもなく恋愛能力の強制力によって生まれたものだと?

「私は意識的にこの能力を使おうとしました」
「恋愛嫌いなのに?」
「だから、ですよ……否定したかったんです、運命の人とやらを。恋なんて幻想なんだって」

 恋が嫌いな水無月。
 俺みたいに使えない能力とか関係なく、恋愛能力を使うはずがないと思っていたが、反証のためにというのなら納得もできる。やりそうだな、とも。

「能力を使おうと意識したのは高校入学前。けど、恋愛能力が発動したか私自身にもわかりませんでした」

 フィクションの魔法や超能力のように、わかりやすいエフェクトは存在しない。

「だから、結局その程度のものだと忘れていましたが……君が現れた」

 酷薄な表情なのに、その顔は泣きそうに見えた。
 俺を見る黒い瞳は水面のように揺れていて、いまにも溶けて頬を流れてしまいそう。

「気が合った。話していて楽しかった。だから、余計に苦しくなった。これは恋愛能力による出会いで……すべて偽物なんだって」

 水無月が門からそっと手を放した。

「私と君のこれまでは偽物でした。だから――私以外の人と恋をしてほしい」

 氷のように溶けそうな微笑みはどこまでも寂しく、いまにも消えてしまいそうなくらいに儚い。
 まるで告白だ。

 でも、それはこれまでの俺たちの関係を否定するもので、別れを告げるものだった。言いたいことはわかった。理解する。これまで俺と一緒にいる中でも、これも恋愛能力よるものじゃないかって、そう思っていたことには同情しよう。
 けど、だ。

「バーカ」
「……好きに罵ってくれて構いません」
「アホ、間抜け、勘違い女、独りよがりの悲劇のヒロインムーブ」
「っ、そ、そこまで言わなくていいでしょうっ!?」

 なんか眉を吊り上げて急にキレた。意味がわからん。好きに罵っていいって言ったのは水無月なのに。
 ふーっ、ふーっ、と涙目で息の荒い水無月に、最後にもう1度「バカだよ、お前は」と付け加える。

「またっ」
「これまで分室でなに見てきたんだよ」

 本当に呆れる。
 確かに、卯木先輩のときは偽物だって判断した。恋愛能力チートは強力で、他に影響を及ぼす。恋愛能力があるからって、恋に到れるわけじゃない。

 皇先輩と白浮先輩もそうだ。
 再会こそ恋愛能力に頼ったが、そこから先の関係を決めたのは2人。そこに本物も偽物もなかった。

「ただのキッカケだったろ?」

 とんでもない力で、周囲の認識すら変えてしまうけど――人の心までは変えない。
 俺はあの痴女神をいまでもクソだと思っているが、その点だけは評価している。変えられなかったのか、変えなかったのかは知らないが、人の心は不可侵だと、そう言っているような気がしたからだ。

「今後どうなっていくかなんて俺たちが決めることで、恋愛能力なんて関係ない。だいたい、俺の恋愛能力は【恋愛能力が効かない】なんだ。水無月の能力なんて関係ないだろ」
「…………でも」

 むずがるように、水無月は小さく首を左右に振る。
 俺の能力で納得できるなら、最初からしているか。結局のところ、徹頭徹尾俺たちは感情に振り回されている。それが恋というものの正体なら、なんて面倒臭いんだ。
 それでもって、また恋夢に手を伸ばそうと思えたのは水無月と過ごした時間のおかげだから。

「できれば、水無月には傍にいてほしいな」

 まるで利用するみたいな言い方だった。我ながら酷い説得だと思う。自分が恋をしたいから、そのために傍にいてほしいなんて。
 俺と水無月を隔てる門の上で、手のひらを上に向ける。
 その手を見て、「けど、私は……」と後ずさる水無月の肩を、後ろから誰かが掴んだ。

「……お母さん?」
「ごめんね、待ってようと思ってたんだけど、私のせいもあるかなって思ったから」

 申し訳なさそうに謝る娘に謝る母親は、そっと水無月の肩を押した。

「私はダメだったから、瑠香にはちゃんと恋をしてほしいな」

 それが最後の一押しになっただろう。俯くように頷いた水無月が、ずっと閉ざしていた門に手をかけた。
 血の繋がった母親には勝てないか。
 小さく残念に思いながら、門を開けて出てきた水無月を笑って出迎える。

「……まだ、信じられないですけど」

 それでも、と水無月は顔を上げた。
 隈もあって、青白く、涙でぐしゃぐしゃの顔はどう取り繕っても酷い顔だったけど。

「もし恋をするなら――君としたい」

 頬を赤くして陽の下で笑う水無月は、雪原に咲く花のように綺麗だった。

  ◆第4章_fin◆
  __To be continued.