第6話

 陽が沈み、校舎が茜色に焼けている。
 黄昏時の郷愁を感じて、胸が少しだけ重くなった。

「――私は伝えるべきだと思います」

 別館の鍵を閉めていると、水無月がそんなことを言い出した。
 白浮先輩が帰るまで黙ってだけ我慢した方か。
 振り返って、薄く鋭利になった黒い瞳と目が合った。

「恋愛能力チートなんてありがた迷惑なものに振り回されるより、ずっといい」
「正論だし、第三者視点ではそうなんだけど」

 それが本人たちのためになるかならないかは置いておくとしても。
 部外者の俺たちが勝手にやっていいかは判断に迷うところだ。それこそ、ありたが迷惑になりかねない。
 半端な言い分だったからか、水無月の眦がわずかに吊り上がる。

「わかっていて、いまのまま放っておいていいとでも?」
「そうじゃないけど」

 ただ、なんというか――

「神様とか関係なく、本当に運命っていうのがあるんなら……このまま上手くいってほしいなって思うんだよ」

 勝手な期待で、物語のような甘い理想だった。
 それでも、もしも好き合っているなら、自然と上手くいってほしいという気持ちがあった。横槍なんてないまま、2人がちゃんと向き合って。

「恋愛厨め」
「……諦めたんだけどなー」

 棘のある言葉に笑うしかない。
 諦念はまだ胸にある。でも、こうも目の前で見せつけられると、羨ましくなってしまう。

「――運命なんてありえない」

 冷たい夜風のような否定だった。
 その声に釣られて顔を上げると、水無月が浅く下唇を噛んでいた。ただ、それが見間違いだったようにパッと口を開いて、水無月はしらっとした目をこっちに向けてくる。

「だいたい、皇さんはともかく、白浮さんが好きかはわからないでしょう?」
「いや好きでしょ」
「……なんでわかるんですか?」

 眉を潜めて訝しまれたので、あー……と少し考えてから、

「男の勘☆」

 と、茶目っ気たっぷりにウインクすると、心底呆れたとばかりに盛大にため息を吐つかれた。

「朝の占いよりも役に立たなそうな勘ですね」
「女の勘もどっこいだろ」
「あれは超能力、一緒にしないで」
「マジか」

 やけに的中率高いと思ってたけど、超能力だったのか。恋愛能力チートといい、意外とこの世はファンタジーにあふれているらしい。

  ◆ ◆ ◆

 翌日も天気は曇り。
 汗ばむ空気に、授業が終わったら真っ直ぐ帰ろうかなとも思ったが、皇先輩や白浮先輩のことは気にかかる。なにか連絡があったくらいは確認するかと、放課後はちゃんと分室に向かう。

「意外と真面目な俺」

 自画自賛しつつ、引き戸を開ける。

「おはようございまー……す?」

 バイトの出勤みたいに、元気よく朝の挨拶をしたのだが、開け放ってあらわになった室内の状況を見て凍りつく。

「――さて、どうしてくれようかな?」薄ら笑顔で白浮先輩の顎をくいっとする皇先輩。
「離してッ!? おうちに帰してっ!」椅子に縛られて、助けを求める白浮先輩。
「…………」入ってきた俺に、ほら見たことかとジト目を向ける水無月。

 俺は一度引き戸を閉めて、すーはーと深く深呼吸。よし。
 と、顔を上げて、引き戸は格子窓がついているので中の惨状は丸見えで。

「…………帰るかぁ」

 見なかったことにして踵を帰したら、『帰らないでっ!?』と泣き叫ぶ悲痛な声に後ろ髪を引っ掴まれた。
 なんでこうなったかなー?
 恋はやっぱり難しい。

  ◆ ◆ ◆

 本当に帰る気はなかったが、分室の惨状を見ると掌を返したくなる。
 女の子が椅子に縛られているだけでも犯罪的なのに、悪の女幹部みたいに挑発的な振る舞いを見せる美女が白浮先輩に迫っているんだから、これからどうなるのかドキドキだ。

「……鷹宮、顔が赤いよ」
「夏だから」

 別にエッチな想像をしているわけじゃない。
 水無月から冷めた目を向けられて幾分か涼み、いまも怯える少女に迫っている悪の女幹部……もとい皇先輩に声をかける。

「とりあえず、落ち着いてください」
「白浮くんがクラゲの居場所を素直に教えてくれるなら、ね?」

 椅子に縛りつけられている白浮先輩が流し目を受けて「ひっ」と悲鳴を上げた。怖いよね、見ている俺もちょー怖い。

「いやいや、別に白浮先輩が隠しているわけじゃー……」

 あー、でも隠してはいるのか。
 事実として海月先輩の居場所は知っているわけで、それを隠しているのも本当だ。探している幼馴染がその縛りつけている白浮先輩その人というのを置いておけば、行動自体は間違っていない。手段は大いに間違ってるけど。

 俺としてはそれとなく上手くいけばいいなーと思っていたが、こうなってしまった以上、白浮先輩が白状するのがいい気がした。
 水無月はどう思ってるんだろう。

 見てみると、窓際で我関せずで本を読んでいた。視線に気づいたのか、こちらにちらりと目配せをして、すぐに本に視線を落とす。流れに任せるとか、そんなところか。
 うん、と頷いて、溶けそうなぐらい青い瞳を潤ませている白浮先輩にぐっとサムズアップ。

「がんば」
「薄情者っ!」

 その可愛らしい顔で罵倒されると、罪悪感も強いが、これはこれでと思ってしまうのは新たな性癖の開拓か。白浮先輩は下唇を噛むと、キッと見下ろしている皇先輩を睨みつけた。

「私は知りません……! もし、知っていたとしても、あなたに話すことなんてありませんから!」

 なんかくっ殺並に口を割りそうなフラグを立った気がする。

「……そうか」

 と、見下ろす皇先輩の声は冷たく、嗜虐的に見える。
 白浮先輩の顔色が青くなる。唾を飲む音を鳴らして、ぐっと力強く目をつむる。それを見た皇先輩は手を伸ばして――

「ふぇ?」

 ――シュルッ、と彼女を縛っていたロープを解いた。
 呆然とする白浮先輩に、皇先輩は力なく微笑む。

「ボクの勘違いで面倒をかけたね。申し訳なかった」
「え、あの……皇、さん?」
「これ以上、キミに迷惑はかけないようにするから」

 ごめんね? と謝る皇先輩はどこか寂しげで、「あ」と伸びた白浮先輩の手は彼女には届かなかった。傍目にも動揺している白浮先輩を置いて、皇先輩は俺と水無月に頭を下げてくる。

「分室にも迷惑をかけた。この埋め合わせはいずれさせてもらうよ」
「それはいいんですけど」

 一瞬、固まっている白浮先輩を見る。

「本当にもういいんですか?」
「あぁ、いいんだ」

 皇先輩が苦笑する。

「ボクのクラゲはもういなかった……それだけさ」

 それだけ言い残して、皇先輩は分室を出ていった。引き戸を閉める音すら立てず、静かな退室。俺が入ってきたときの衝撃的なシーンとは正反対で、切なさすら感じるほどだ。

「これで依頼は完了……というか、終わりでいいのか?」
「失敗でしょうけど」
「まぁ……そうな」

 “初恋の人を見つける”
 そういう依頼内容で、皇先輩に合わせることができなかったんだから失敗になるだろう。初めての依頼失敗。けど、このままで終わるのかは、また別の話だ。
 口を小さく開けたまま、椅子から動けずにいる白浮先輩に尋ねる。

「いいんですか? ほっといて」
「だって、もういいって」
「あれ、気づいてますよ」

 白浮先輩が顔を伏せる。この人もわかってはいるか。
 どこで察したかは知らないけど、あれだけ幼馴染に執着していた皇先輩が諦めたのはきっとそういうことなんだろう。白浮先輩が探していた幼馴染だとわかって、正体を明かしてくれるよう迫った。

 強引な手段に出て、それでも応えてくれなかったら……皇先輩は拒絶と受け取った。想像以上に潔くて、けど、残した傷跡は大きそうだと白浮先輩を見る。

「追いかけないでいいんですか?」
「でも、オレは女だから」
「探しているのは初恋の人幼馴染でしょう?」

 性別が変わるのは大きいことだが、皇先輩は気にしないだろう。気にしているのは白浮先輩で、どうするかもこの人次第だ。

「なんにしても、あの人は長年、幼馴染を探し続けてたんです。区切りくらいはつけてあげるべきでは?」
「――ッ」

 突然、白浮先輩が立ち上がる。
 座っていた椅子を蹴飛ばして、ガタンッと分室内に倒れた音が響く。それすらも気にせず、白浮先輩は駆け出す。

「オレは……くそっ!」

 誰に対しての悪態かなんて訊く必要もないだろう。
 なにもかも放り出して、スカートをひるがえしながら走り去る。その所作に女性らしさはなく、出ていった後ろ姿にふと見たことのない男の姿を幻視した。

 俺は白浮先輩が倒していった椅子を立てると、そのまま座る。背もたれに寄りかかって、ぐでんっと首を後ろに倒す。ちょうど、こっちを見ていた黒い瞳と目が合った。

「どうなると思う?」
「知りませんよ、あなたがけしかけたんでしょう?」
「そうだけど」

 だからって、どうなるかなんて予想もつかない。

「これがアニメやドラマなら、ハッピーエンドなんだろうけど」

 恋愛能力チートなんてあっても、やっぱりこの世界は現実で、物語のように上手くはいかない。幸福に繋がるかは運もあって、なにをしたところでバッドエンドなんてこともありえる。
 世界は残酷だ。でも、

「上手くいけばいいな」
「……えぇ、本当に」

 ぼやくような願いに、小さな同意が夏の日差しに溶けていった。