第10話
願いだったその言葉は、いまでは傷口に塩を塗る込むようにしみる。
どれだけ努力しても、得られたのは“いい人”という評価だけ。仲のいい異性はいても、それ以上にはなれなかった。
カランッ、とグラスの中で氷が動いた。
「俺にはあんな恋は無理なんだなー……って、なにその顔?」
「……いま、私どんな顔してます?」
ぺたりと、水無月は自分の頬に触れた。
「真顔」
感情が抜け落ちて、呆然としている。
羞恥やからかいは身を潜め、まるで感じ入っているようにも見えた。ぺたりぺたりと何度か頬に触れる仕草は稚く、自分の感情がわからないよう。
「どう言ったらいいのかわかりませんけど」
「鼻で笑ってもいいけど? 諦めたし、恋愛アンチな水無月には嫌な話だろ」
「……はんっ」
「やっぱやめて」
嘲笑に満ちた顔がすげー腹立つ。
「冗談ですよ」と、やっておいて冗談とは? と首を傾げつつ、水無月はティースプーンでカップの紅茶をぐるぐると回す。
「さすがに、真剣な話を笑うほど性格は悪くありません。ただ……その」
ぴたり、と手が止まる。
「……少しだけ、羨ましいと思っただけ」
「恋愛嫌いなのに?」
「なのに」
今度は俺が真顔になる番だった。
意外……ということもないのか。水無月だって10代の女の子なわけで、口では否定しつつも、本心としては恋に憧れがあったとしてもなんら不思議でもない。
「もし、鷹宮が……」
小さく開いた口を、水無月はきゅっと結ぶ。
「……ありもしない妄想を口にしても詮ないですね。みっともない」
「途中で止められると気になるんだけど」
「教えません」
ふっ、と息を抜くように笑って、楚々とカップに口をつけた。
なんでだ、と思う気持ちはあるけど、その自嘲めいた微笑みを見ると、そうした感情も道端に落としたように霧散していく。
恋への向き合い方は正反対。
でも、思うところがあるのは、同じなんだろう。
「ところで、君が恋を諦めたのは、中学のときに好きだった子にでも『重い』とでも言われたんですか?」
カチャン、と音を立ててカップをソーサーにおいて。
あらわになったその目元は、微かに弧を描いていた。
ひくっと口の端が動く。
「ふつー、いまの流れに訊くか?」
「気になるので」
「本能に忠実なお嬢さん? 人間には理性というものがあってですね?」
「平気ですよ。理性も面白いから聞き出せと応援していますから」
「理性と本能が手を取り合ってるじゃん……」
ほくそ笑む水無月を見て思う。
やっぱり性格悪いだろ、こいつ。
◆ ◆ ◆
カランカランと退店のベルが鳴る。
ログハウスにあるような温もりのある階段を下りると、水無月が不満そうに口の端を曲げていた。
「女の子大好きなんです?」
「好きだけど……いま?」
脈絡がなさすぎる。
「店を出るときには、財布すら出さずに会計が終わっていたら、そう思いもするでしょう。なんです? 女の子とのデートでは男が奢るべきとかそういう貢がれ女子が好みなんですか? あぁいうのは女性優位とかではなく、なにもしないのにお姫様扱いしてほしいという歪んだナルシズムが生んだ、ただの自己中ですよ? 昨今、そうした特異な人が目立つだからといって、あれを一般的な女性像と思わないでください。私を同列に扱うのはもっとやめて」
「しれっと会計してただけで、この言われよう」
やたらめったら長い語りを訳すと『私は奢ってほしいなんて言ってない』なんだろうけど、それにしても主張が強いし鋭い。
言い寄ってくる男のせいで、異性を毛嫌いしている節があるのは理解していたが、同性に対しても一家言というか、人類全般嫌いすぎだろ。そりゃ、ぼっちにもなる。
「同性異性に限らず、親しい人とかいなさそうだよな」
「いますよ…………お母さんが」
それはバレンタインで男が見栄を張るときの反応なのよ。
「俺が出したのは、デートは男が払うべきって考えじゃない……わけでもないけど」
「ほら」
見たことかと言わんばかりの態度だ。続けて、なにか気づいたようにはっとして「……デートじゃない」と下を向くのは年相応の反応でかわいらしい。
「今回のはお礼も兼ねてるから」
「……お礼をされるようなことしていません」
「したよ、十分」
勘違いだったとはいえ、家にいづらかったのは本当だ。呼び出してくれてありがたかった。
澱のように溜まっていた気持ちを吐き出せて、体も軽くなった。
お礼するには十分な理由だった。
水無月が剥き出しの肩を抱くように触れる。
「……私はそういう、……対象というわけでもないでしょうに」
「あー……どうだろ」
それは俺もわからない。
出会いや関係がやや特殊で、そもそも恋愛的な異性として見るには時間が短すぎた。たった1ヶ月と少し。その短期間で付き合う学生もいるけど、俺はそんな簡単に関係を進めようとは思えない。
そうした部分がいい人で、重いと言われる理由なんだろうけど。
だから、異性として気になるとか好きか、そういう目で水無月を見たことはない。
ないけど、
「絶対ないって否定しないくらいには……一緒にいて落ち着く相手だとは思ってるよ」
一緒にいて気まずくならなし、軽口も叩ける。
気兼ねしない関係というにはまだ隔たりがあるけど、それでもそうした言葉に1番近しい人だとは思う。
「まぁ、ないこともないってだけだから」
へらっとおどけて笑う。
重く取られても困るし、告白と受け止められたらもっと困る。
意識させようという気はなく、これで距離を置かれたら悲しすぎる。
だから、努めて軽い空気にしようとしたんだけど、
「水無月?」
「……あ」
声をかけると、小さく声を上げた。
一瞬、その顔が傷ついているように見えて――ぺちん、と鼻をデコピンされた。
「やっぱり、女慣れしててうざいです」
「してないって」
「どうだか」
水無月がくるりと回る。
後手を組んで歩いていく背中を見つめて、落ちる彼女の影を追いかけるように歩き出す。
◆第2章_fin◆
__To be continued.