第9話

 駅から外れた場所にある喫茶店に案内した。
 カウンターにいた店長さんに会釈をして、テーブル席に案内してもらう。

「ご注文がお決まりになりましたら、お声掛けください」

 颯爽と去っていく後ろ姿を見送って、顔を正面に戻す。なぜか嫌そうな顔をして水無月がこちらを見ていた。

「なに?」
「スムーズすぎて嫌」
「あー……わーきゃー相談するのも楽しいと思ってるタイプ?」
「奇声なんてあげませんよ」

 陽キャ集団を奇声を上げる変な動物だと思っているのか。本人たちは楽しくても、傍はたから見たらそういう印象も受けるかもしれないが、その評価は嫌いと言っているようなものだ。

「見るからに陰っぽいもんなぁ」
「どういう思考を辿ってその結論に至ったのか、説明していただけます?」

 にっこりと。
 影のかかった微笑みが怖い。美人の笑顔で良かれ悪かれ迫力があるよね。だからこそ、敵も多いんだろうけど。
 水無月が瞼を伏せて、髪先を弄る。

「そうではなく。さっきも言いましたけど、手慣れてるのが……なんかあれ」

 どれだよ。

「進捗がスムーズだと心配なの? 問題が起こる前提でバッファを取っていてのに、進行が順調でなにも起きないのが逆に不安みたいな」
「初めてプロジェクトリーダーになった若手じゃないんですから」

 そうではなくて、と苛立たしげに黒髪を払う。

「女の子の扱いに手慣れているのが、なんかあれって話です」
「手慣れてないって」

 途中からわかっていたけど、例を話していたら楽しくなってしまったので止められなくなった。

「もしそうだとしても、それはプラスだろう?」
「尻軽」
「俺は男です」

 言いたいことはわかるけど。
 届いたアイスコーヒーのグラスに口をつける。個人経営だけあって、豆からしっかり厳選しているので、ただのアイスコーヒーであってもここのは飲みやすい。
「本当に軽かったらよかったのかもしれないけど」

「…………」

 中学のときに言われたことを思い出していると、水無月から内心を推し量るような目を向けられてしまった。
 女の子と遊びに来ているときに、こういう思わせぶりなアンニュイさはよろしくないなと反省。もう1度、アイスコーヒーで唇を濡らして、からかい交じりでジト目を向ける。

「それで、なんで休みに呼び出したんだ? まさか、分室の仕事とか言い出さないと思うけど……俺に会いたかったとか?」
「…………」
「……あの、冗談だから。その汚物を見るような目はやめれ」

 わかっていても、女の子からの軽蔑の眼差しは胃が汗をかく。

「そんな軽口が言えるのなら、私の杞憂だったんでしょうね」
「なにが?」

 今度は本気でわからなかった。
 水無月は丁寧な所作でポットの紅茶をカップに注ぐ。深窓の令嬢みたいで、喫茶店という場所も相まってやけに絵になるなーと思っていると、水無月はそのまま口を開いた。

「先週、スマホで誰かから連絡を受けてから様子がおかしかったですから」
「気を遣ってくれたの?」

 彼女はなにも言わない。
 まさか、という思いはあったが、そっと視線を逸らした水無月の頬は色づいて、なによりも雄弁だった。肌が白いのを世の女性は羨むけれど、こういうとき、感情を隠せないのは当人としては弱みなのかもしれない。

「もし、嫌なことがあるなら……その、友人に誘われたからと言って、抜け出せるでしょう?」

 だから誘ったと。
 そう言う水無月に俺はなにを言えばいいのか。心臓の辺りがむずむずして、頬が熱くなる。

「ははっ」
「……バカにしてますか?」

 ついこみ上げてくる笑いを抑えられなく、水無月がむっと顔を顰める。もちろん、そんなつもりはなかったから「違う違う」と否定する。

「顔、緩んでる」
「あんまり見ないで」

 上手く表情を操れない。
 それくらいは造作もないはずなのに、触れた頬は確かにむにっと盛り上がっていた。人に見せていい顔じゃない気がして、余計に頬が熱くなる。

「……まぁ、うん。ありがと」
「そうですか」

 空気が面映ゆい。
 ぬるまゆい空気は梅雨の外気に似ていた。店内は空調がしっかり効いているはずなんだけど、壊れてたりするのだろうか。
 全身をくすぐられるような空気に耐えきれず、けふんと空咳をする。

「そ……んなに態度に出てた?」
「不審者でした」

 くすり、と水無月が笑みを零す。

「それは冗談にしても、君の様子がおかしかったのは本当です。先週ずっと、落ち着かない猫みたいでしたよ」

 顔を覆う。
 自覚がない行動を指摘されることほど恥ずかしいこともなかった。そんな俺の様子を見て、悪い連絡だったんじゃないかと水無月は勘違いしたらしい。
 この状況は、回り回って俺のせいというわけだ。……嫌ではないから、おかげ?

「やー……別に嫌なことがあったわけじゃないんだけど」
「なら、余計なお世話?」
「でもなくってー」

 立場が逆転したというか、水無月が一気に攻勢に出てくる。その瞳は爛々としていて、おもちゃを前にした猫みたいというか、そのものだ。俺よりよっぽど猫じゃん。そう思うが、いまの俺に言い返す余裕はない。

 あー、とか、うーとか。
 要領を得ない声を出して凌ごうにも限界はあって、口元を隠しながら観念する。

「その、なんだ。兄の夫妻が実家に帰ってきてて」
「それは知ってます」
「あぁ、そうね。言ったよね」

 口の中がやけに乾く。

「それから挙動不審になったから、君は兄と不仲なのかと思ってたんです」
「仲はふつーで、それが理由ならそもそも外泊届出してまで実家には帰らないんだけどー」
「……ふーん?」

 瞼を半分落とした、見透かすような黒い瞳からそろりと逃げる。
 なんと言えばいいのか。だらだらと滝汗をかきながら必死に頭を使っていると、はっとしたように水無月が口元に手を当てた。

「横恋慕?」
「昼ドラじゃないのよ」

 兄弟が1人の女性を取り合ってドロドロ。
 それこそドラマならともかく、現実でそんなことになっていたら、兄弟仲をふつーとか言ってられないだろう。

「違くて」

 なんかこれ以上引っ張ると、また水無月が妄想を暴走させてしまいそうなので覚悟を決める。

「…………憧れなんだよ、2人は」
「憧れ」

 顔どころか全身が熱い。
 ぱちくりきょとんとした水無月は、俺の言葉を呑み込むのに時間がかかっているらしく、時間が止まったように固まってしまった。
 黙られるのは困るんだけど。

 この手の話は誰もしたことがなかったから、恥ずかしさもひとしおだ。やけに乾く喉を潤してくれたアイスコーヒーはもうなくなっていて、氷がぶつかる音だけが涼しげだった。
 店長さんにおかわりを頼み終わると、ようやく考えがまとまったらしい。

「結婚したいんですか?」
「……そういう願望は」

 考えて、

「わかんないけど」
「へー」

 なんのへーだ、それは。
 釈然としない。でも、ここまでさらけ出して終わりというのも中途半端ですっきりしない。旅の恥はかき捨てではないが、ここまで来たら最後まで行こう。
 ……そう思う時点で、誰かに話したかった、というのはあるんだろうなと思う。

「あぁいう関係になれたらいいなって」

 憧れというか、羨望に近いものだった。
 小学生の頃から知り合った2人。
 昔から仲がよくて、でも、ときどき喧嘩して。

 それでも、どんなときでも一緒にいる。苦楽を共にするというのは、こういう2人のことをいうんだろうと、幼いながらに感じていたのをいまでもよく覚えている。
 それは現在も変わらず。
 結婚して、同棲するようになったいまも、その関係性はずっと続いているんだと、今日会って再認識した。

「あんな恋がしたい」