第1話
――恋愛能力を与えましょう。
元旦。地上に神様が降臨されたのは、まだ記憶に新しい。
誰もがその存在を見た――……というか観ていた。テレビとか、スマホとか、そういったモニターで。現代的やすぎないか、神様。
『人類は減りすぎた! このままじゃ絶滅しちゃうから、わたくし様からあなたたち人類に恋愛能力を与えてあげるわ!』
感謝なさい! と大きな胸を張る神様は尊大で、とても敬えるような雰囲気はなかった。そのとき、俺は冬休みで丁度、実家のリビングで年始のスペシャル番組を観ていたけど、芸人かなんかだと思う程度には、神々しさの欠片もなかった。
『というか、あなたたち恋をしなさすぎです。お一人様が流行りとかなんなのそれ。かっこいーとか思ってんの? 童貞も処女も拗らせたところで神どころか魔法使いになれないただの行き遅れだからね?』
うっせー神だ。
『いい? 恋をしなさい! そして生むのです、子どもを。人類を滅亡から救うのです、我が子よ!』
そんな感じのことをドヤ顔で宣言して、自称神様は消えて、もとの番組に戻っていった。緊急速報で電波乗っ取り、原因究明が流れるくらいには一大事だったが、内容が内容だけに『へー』としか思わなかったのをよく覚えている。
こたつでぬくぬく、みかんのシブが取れない方がこのときの俺にとっては一大事だった。
――でも、そこから世界は一変した。
どこぞのネット小説みたいに、人類にはチート能力が与えられた。マジかと思う。でも、マジだった。神様は本当に神様で、人類を救うためにチート能力を与えてくれたらしい。
……まぁ、それが恋愛にしか使えない能力で、個人はともかく会社とか国とか、そういう大きな単位ではほとんど役に立っていないらしいけど。
それでも、だ。
俺は少しだけ……本当に少しだけ、期待していたんだ。
恋愛能力があれば、こんな俺にだって理想の恋ができるんじゃないかって――
◆ ◆ ◆
「――神なんてクソったれだ」
高校の入学式から早1ヶ月。神様の恋愛宣言から5ヶ月が経過していた。
教室のクラスメイトたち、その誰もが恋愛に浮かれる中、俺はただ1人神を呪っていた。
「こんなんで恋愛なんてできるか」
神から与えられた俺の能力は――【恋愛能力が効かない】。
なにその能力無効系の主人公みたいな能力。異能力バトルモノならさぞ応用を利かせられる素晴らしい能力だったことだろう。読んでいる読者もハラハラ楽しい。書いている作者も敵の強大な能力をどう主人公に攻略させるか楽しい。そんな能力。
でも、俺たちの世界にバトルはない。残念ながら、ないんだ。
恋するための能力で、それが効かないってなんなの? まるで俺だけ蚊帳の外にされた気分だ。こんな能力を与えれた俺は登場人物ではなく、読者なのか。俺も恋がしたいのに……っ。
「ほんとうにクソだ」
神はいる。でも、天に唾を吐いたところで汚れるのは俺だけだ。天罰すら下らない。
「……結局、中学からなんも変わらないか」
恋をしたかった。
所詮、それは夢で、俺はいつだって誰かにとっての“優しい人”になる。……良い人にはいつだってなれなかった。
「席着いてくださーい、授業を始めますよー」
「せんせー! 今日は恋愛授業ないんですか!」
「時間割見なさい」
恋愛能力があっても世界は変わらない。俺も変わらなかった。
◆ ◆ ◆
屋上に続く階段の踊り場で1人昼食を取る。
痴女神様の恋愛宣言から、恋愛に屋上は大事、という理由で開放されていた。いまどきラブコメでも屋上シーンなんて見ないが、誰の趣味だろうか。ジェネレーションギャップを感じる。
ただ、今日に限っては曇り模様で、小雨だ。5月は晴れやかな天気は少なく、いつだって灰色の雲が覆っていた。小雨とはいえ、雨が降っていて外で飯を食う物好きはいない。
「……はぁ」
ため息ばかりが口を出る。
別に一緒にご飯を食べる友達がいないわけじゃ……いや、いないんだけども。作れないわけじゃない。中学の頃は友達は大勢いたし、いわゆるカースト上位みたいなグループに所属していた。ほんとに、冗談じゃなく。
ただ、こんな外れチートを手に入れてからは、上手く人と馴染めずにいた。流行に乗り遅れたというのもあるけど、恋愛に浮かれているクラスメイトたちを見ていると、酷く疎外感があって声をかけられずにいる。
恋愛能力で彼氏彼女ができました。ありがとう神様。
「…………恋愛なんてクソだ」
「――本当に」
ただのひとりごとに返事があった。
ぎょっと目を剥く。かつ、かつと階段を上がる音が踊り場に響いた。上がってきたのは、日本人形かと思うくらい肌の白さが目を惹く美人だった。
いまどき珍しい黒髪黒目の大和撫子のような風貌。肩口で切り揃えられたボブっぽい髪型もあって、全体的に作り物めいている。怜悧な顔立ちをしていて、人を拒絶するように細められた黒い瞳が俺を突き刺してくる。
「隣、構いませんか?」
「どうぞ」
断る理由は……あるにはあった。恥ずかしいひとりごとを聞かれたし、こんな埃と湿気でもわもわしている不健康極まりない場所で昼食を取っているのは1人になりたかったからだ。
でも、それはきっとこの子も同じで。
それを直感的に察して、嫌ですとは言えなかった。俺が占有していい場所でもないし。
「ありがとうございます」
お礼にしては冷たい声で彼女は壁に背をつけて、踊り場に腰を下ろす。さっとお尻を撫でるようにスカートを直す所作はやけに品があって、育ちのよさを感じさせた。
隣と言いはしたが、距離はある。そう広くない踊り場で、人1人分くらい。意識しているわけじゃないが、なんとなくその空間が見えない壁のように感じてしまう。
いいけど。
もっそりとメロンパンを口に含む。甘い。
「恋愛は嫌いですか?」
まさか、話しかけてくるとは思わず、メロンパンが喉で引っかかる。んぐっ、と咳き込んで、慌てて傍にあったペットボトルを掴む。水で流し込んで……はぁ。
「驚かせてしまいましたか」
「はな、しかけてくるとは、おもわ……なかったから」
本当に。
「そうですね、ただ気になったので」
悪びれもしない。この子が悪いとは言わないけど、なんだかなー。
「嫌いって言うか、俺に縁がないから」
「……あー」
「人の顔見てなにを納得した?」
黒い瞳を上下に動かして、納得したように頷いた。顔か? 俺の顔がモテそうに見えないって、そう言ってんのか?
むっつり唇を結ぶと、「冗談ですよ」とくすくす彼女は笑った。その横顔はやけに整って見え、確かにこの子と比べたら俺の顔なんて平凡だろうと思ってしまった。
いや、そこそこいいんだよ、顔。クラスではいい方だけど、さすがにアイドルと比べられた見劣りするというだけで。
「みんな言うんだよ、“優しい人”って」
「優しい人」
「いま、変なルビ振らなかった?」
こいつ、初対面の癖に口が悪すぎる。その冷笑からからかっているのがありありと伝わってきた。なんなの、ストレスでも溜まってんの? 更年期ですかこの野郎。
「でも、いいと思いますよ。恋なんてクソです。モテない方がずっといい」
「はーん? それは自分はモテモテで困ってますーっていう俺への当てつけ的なアピールですかぁ?」
「鬱陶しいのは事実です。さっきも告白されて振ってきたばかりですから」
ふぁさっ、と彼女は髪を払う。
纏わりつく鬱陶しいものを払い飛ばすように。
「……君にわかりますか? 入学してからこれまで、告白され続ける苦しみが。あの破廉恥極まりないボンクラ女神のせいで、誰もがありもしない恋になんて浮かれている。巻き込まれる方は迷惑でしかありません」
「逃げてきたの?」
「1人になりたかったんです」
先客がいたみたいですけど、と横目でジロリと睨まれる。
そんなん言われたってどうしようもないじゃないか。
「あー、そういえばなんか噂になってたかも。新入生にとんでもない美人がいるって」
「私のことですね」
「ドMが好きそうな女王様系大和撫子がいるって」
「……あの、それは私? 女王様と大和撫子って並べていいんでしょうか? というか、どういう噂になってるんですか?」
「知らない」
自信満々の態度から一転して、慌てたように詰め寄ってくる。俺だって、教室にいるときに漏れ聞こえてくる声を拾っただけで、詳細なんてわからない。
ただ、告白してきた男を振るときも、そんな冷笑を浮かべて辛辣な態度を取っていたというのなら、そういう噂も立つんじゃなかろうか。火のないところに煙はなんちゃらだ。
最後の一口を飲み込む。新しくチョココロネを開けようとして……。
「ほい」
「きゃっ」
ぽいっと彼女に投げる。
思いのほかかわいらしい声が出た。それを恥じたのか、女王様で大和撫子な少女は眦を吊り上げて睨んでくるが、薄く頬を赤らめた顔では怖くもない。
「ストレス発散には甘いモノがいいらしいぞ」
「……別に、ストレスなんか」
「じゃあ、返して」
ほら、と手を出したが、少女は俺の手をじっと見てあと、チョココロネを形のよい胸に抱きかかえた。
「くれたのでしょう? なら、これは私です」
「残念」
ゴミをまとめた袋と、ペットボトルを拾い上げて立つ。
「もう行くんですか?」
「1人になりたかったんだろう?」
見ると、かすかに俯いた。そうだけど、と言いたげな表情だった。日本人形みたいと思ったけど、意外と感情が顔に出るタイプなのかもしれない。赤面もわかりやすかったし。
ばいばい、と手を振ると、ぎこちなく顔の横で振り返してくれた。
キツい顔と違って、かわいい性格をしているのかもしれない。
俺は笑って階段を下りながら、ふと、彼女の二の腕にくっついていた腕章を思い出す。
「風紀委員か」
女王様系大和撫子に風紀委員って、属性盛りすぎではなかろうか。
◆ ◆ ◆
今日も今日とていつもの日常。
中学から高校に環境が変わった。それで変化したのは、俺の友達の数くらいなものだ。もう少し馴染むべきか、と一塊になっているクラスメイト集団をちらりと窺う。
楽しそうに談笑している。そこに混ざってもいいが……面倒なんだよなー。
あそこにいたからこそわかるが、ああいう集まりはひじょーに気を遣う。中学の頃はモテたい一心で常に笑顔を貼りつけて、どんなことにも否と言わず、アホみたいに高いテンションにも合わせてひゃっはーしていたけど、一度離れると億劫になる。
合わせる理由もなくなったしな。
「はーい、出席を取りますよー」
行動を起こす気も起きないまま、教師が出席簿をぺしぺし叩きながら教室に入ってきた。教師に笑いながら文句を言いつつも、ちゃんと生徒たちは席に着いていく。
他クラスの生徒も教室を出て……出て?
「……転校生?」
じゃ、ないよな。昨日もいたし。ただし、他クラスで遊びに来ていただけだ。
俺の思い違いでなければ、他クラスの男子生徒は、まるでそこが最初から自分の席だったように前の席に座っている。昨日までそこに座っていたやたら身長高いクラスメイトは、どうしてか新しい机を持ってきて、一番後ろに着いた。
変だ。明らかに。
なのに、他のクラスメイトはなにも言わない。教師すら指摘せず、まるで最初から同じ教室で過ごしていたように受け入れていた。
「――はい、全員出席ですね」
クラスに馴染んでいる知らない男子生徒の名前は呼ばれないまま、ホームルームはつつがなく進んでいく。
あーこれ、恋愛能力か。