第4話 今週の金曜はお金がないからネカフェが難しいんだけど?
外に出ると、雨は止んでいた。やっぱりにわか雨だった。
「止んでよかった」
「ほんとに?」
灰野がほくそ笑みながら、濡れた折りたたみ傘を振る。
「止んでよかったー」
「カップ麺の湯切り失敗したみたいな気持ち」
「ショックなの?」
それとも腹が立っているのか。
鞄に折りたたみ傘を仕舞い直す灰野に別れを告げようとして、ちょっと訊いてみる。
「なんか最近、ネカフェ多くない?」
灰野の肩が小さく跳ねた。
「律ってダチョウだっけ?」
頭を揺すられる。脳みそそこまで小さくないし、空っぽの音はしない。
素直にそのまま揺すられていると、パッと手を放して灰野が離れていく。足元で水たまりが跳ねて、飛沫が僅かに残った夕陽を吸って煌めいて落ちていく。
「また明日」
返す暇もなく灰野が駆けていく。
「また」
と、送ったけど、やっぱり届かないよな。
陽はもう沈んでいるのに、少しだけ空は明るい。残り火のような明るさは、けれどどこか弱々しさも感じさせた。
◇ ◇ ◇
家の前で深呼吸をする。
それは自分を切り替えるときのスイッチみたいなものだ。
「ただいま」
開けると、奥からすぐに足音が聞こえてきた。スリッパのパタパタとした音。やっぱりいるか。専業主婦なんだから当然だけど、例外があってもいいとは思う。
「お帰りなさい」
笑顔で出迎えた母に、笑顔でまた帰宅の挨拶をする。靴を揃えって上がって、そのまま洗面所へ。手を洗ってから戻ると、さっそく母がニコニコしながら尋ねてきた。
「今日も図書館で勉強? 頑張ってるわね」
「うん」
笑顔で頷く。
喉まで出かけた『なんで?』という疑問を呑み込む。
「そろそろ模試だものね」
「ちょっと不安もあるかな」
「優莉なら大丈夫よ」
母の調子に合わせるように、私も笑う。
「塾もそろそろ考えないといけないかしら。受験対策には、2年の今頃でも遅いくらいだって」
「大丈夫。お金もかかるし、勉強は自分でできるから」
溜まったもんじゃない。
「そう? まぁ、優莉は勉強できるものね。でも、困ったことがあるならちゃんと言うのよ? お父さんにも言って、なんでも協力するから!」
「ありがとう、お母さん」
笑顔、笑顔。
夕飯の準備に戻っていた母を見送って、階段を上がる。自分の部屋に入って、後ろ手でドアを閉める。
「……んあぁぁっ」
ズルズルとドアを背中で滑るように落ちる。
頬に触れる。引き攣っていなかったかな。
「…………足りない」
体力じゃない。
心の器がからんっと軽い音を立てていた。
◆ ◆ ◆
お金がない。
「残高が……1046円」
QRアプリの残高。現金も合わせればもうちょいあるけど、桁が上がったりはしない。
そろそろ月末で、お小遣い日は25日。社会人の給料日かな? と思わなくはないが、実際、母の給料日に合わせているんだろう。
今日は珍しく晴天。
午後から曇りらしいが、ネカフェ日和っぽいのに。……雨降ろうがネカフェには関係ないけど。
「でも、今日はネカフェの日」
出費重なってたからなー、主に灰野関連で。苺パフェとか、フードとか、ネカフェとか。全部引っ括めて灰野代でいいな。なんか貢いでるっぽくなった。
今週は水曜も行ったし、今日行かないくらいはいいだろ。そう思って、スマホで『ネカフェ行けぬ』と灰野に送っておく。
「は、灰野さん? どうしたの?」
なんか全力で振り向いてきたんだが。
窓際の前の席。その一番後ろが俺で、人がいないと視線が通る。スナイパーみたいな刺す視線が俺に突き刺さる。その顔が『なんで?』と物語っていて、優等生の顔が剥がれかけている。
灰野の席にたむろっているクラスメイトが、灰野の視線を追いかけそうだったので、俯いてスマホを見る。
『なんで?』
そしたら、すぐにメッセージが飛んできた。
『お金がない』
『私が出す』
『やだよ』
『なんで?』
なぜなぜ期の子どもかな?
『奢られんのは嫌』
『なら貸す。十一で』
『闇金ハイノさん』
『なら、無利子で』
『そっちも金ないでしょ』
恋人割を提案するくらいなんだから。
『お年玉貯めてるから平気』
『優等生っぽーい』
前の方から机の足を蹴る音と、「灰野さんっ!?」ってびっくりしてるクラスメイトの声が聞こえるけど、空耳ってことにしておいた。お金があると言われたところで、行くはないが。
なんか、かわいい熊みたいなデフォルメキャラが怒っているスタンプが送られてくる。連打、連打、連打……。
スマホの電源をそっと閉じる。
「天気いいなー」
◆ ◆ ◆
昼休みは逃げるように教室をあとにした。
見てこそいないけど、ちょいちょい鋭い視線を感じていた。
「そんなに行きたいのかね」
今日行くと、今週だけでネカフェは3日になる。多少安くしたところで、そこそこの金額になってしまうし、やっぱり月末付近では厳しい。
「バイトでもするかな」
部活もしていないから選択肢としてはある。家にお金を入れられれば、多少なりとも母の助けにもなるだろう。ただ、そんなことは高校に入学してから幾度も考えて、却下してきた。
「家事もあるし」
バイトと両立はなかなかに難しい。
単発ならワンチャンと思いつつ、図書室に併設されたラウンジに向かう。比較的広い場所だが、あまり人はいない。食事はできるが、図書室の一部と見なされているため、騒げられないから。
お喋りしながらお昼を過ごしたい生徒には不向きだが、静かに過ごしたい俺みたいなのには最適な場所だった。
「さて」
と、空いている席に着いて持ってきた弁当を広げたら、隣の席に誰かが座った。他にも空いてる場所はあるのになんでわざわざ。不平不満を込めて横目で見たら、逃げてきたはずの肉食獣が笑顔で座っていた。もちろん、顔の上半部には濃い影がかかっている。
「きちゃった♡」
「……うわーい」
その台詞、嬉しくないパターンあるんだ。