第3話 あなたのおすすめ
「水たまり跳ねた」
「ごめんって」
学校からの帰り道を、通学路を遡って歩く。
その道程は朝と変わらないのに、下校の光景が違って見える。それは雨だから、というだけではない。
「夏に雪が降ってるみたいな気分」
「……珍しいっってこと?」
「なんでわかるんだよ」
伝える気なんてなく、ただのお気持ち表明だったのに。よくわかったなと顔を少し下に傾ける。ネカフェで見る気怠そうな顔をしているが、少しだけ顎を上げて得意げに見える。
「クラス委員長だから」
「それで大変な目に合ってるのになー」
「……ねぇ、なんでいまちょっと気分よくなったのに、嫌なこと思い出させるようなこと言ったの?」
「さーせん」
調子に乗って伸びた鼻を叩き折りたくなるのはあるあるだと思う。
「というか、持って」
「あぁ、うん」
傘を押しつけられる。
そういえば持ってもらってた。こういうとき、気づいて自分から言い出せればスマートなんだろうなとは思うが、灰野相手ならいいかなと思いもする。
傾けるくらいはするか。
「そういえばさ」
「なに?」
「俺の家、反対」
「私も」
なら、どこに帰ってるんだろうな、俺たちは。
「寄ってくでしょ?」
「まるで家に上がってくみたいなノリ」
まぁ、ネカフェのことなんだろうけど。
週も半ば。この前、奢ったのもあって財布にはあまり余裕がない。けど、灰野の疲れた顔を見ると、いいかなーと思ってしまうのは絆されているからだろうか。
「アイス食べたい」
「今度はチョコレートパフェかな」
「ドリンクバーの横にあるだろ、ソフトクリーム」
「チョコない」
「チョコソース、置いてあるだろ」
えー、と文句を言う灰野を傘から追い出す。そしたら、足元の水たまりを勢いよく踏まれて、服が汚れた。
◆ ◆ ◆
「ただいまー」
と、ネカフェの部屋に入った途端、クッションに抱き着いて灰野が倒れた。実家ではないが、ただいまと言いたくなる気持ちもわかる。部屋番号420。他の部屋と作りは変わらないはずなのに、何度も通っていると自分の部屋という感覚になってくる。
いつも通り、部屋に荷物を置いて。
そのまま部屋を引き返そうとしたら、足を引っ掛けられた。
「……どこ行くの?」
「飲み物と漫画」
言ったら、なんかクッションに顔を押しつけてうーっと唸り始める。ストレスで牛にでもなったか。でも、そうするとモーだし、うーは……サイレン?
「私も行く」
「外出たらほんとに雪降るんじゃないのか?」
「夏の雪も乙でしょ?」
「地球の最後かなって」
明日滅ぶと告げられて、最後に見る光景がそれなら、いいかなってなるのかな。今回はカードキーもちゃんと持って、灰野を連れ立って部屋を出る。
完全個室なだけあって、人はあまり見ない。客が少ないのか、それとも部屋にこもっているのか。わからないけど、でも気配はあって、それが落ち着く要因でもあると思う。
「静かすぎるのも、な」
階を下りて、まずは漫画。
スタッフの今週のおすすめは……あんまり変わってないな。最近はちょこちょこ来すぎていて、更新が追いついていない。新作を開拓するのも難しい。
「なんかおすすめの漫画ないの?」
「漫画?」
ドリンクバーではなく、なんかついてきた灰野に訊いてみる。疲れてなで肩のように下がっているが、なんでこっちに来たんだろう。
上から下。ぎっちり並ぶ漫画を灰野が視線で追いかけている。
「漫画読まないからわからない」
「なにしにネカフェ来てんの?」
「寝カフェ」
「新ジャンル開拓」
あってもおかしくはなさそうではある。
疲れたサラリーマンとかOLなんかが使いそうだ。10代の女子高生がただ寝るためにネカフェを使っているっていうのも、社会の闇みたいでなんかやだなー。
「なら、適当に選んで」
「自分の好きなの選べばいいでしょ」
「そうだけど」
新しい作品を探すのも、ちょっとした労力だし。
「灰野のおすすめなら合うかなって」
「……」
「なにその『こいつはぁ』みたいな顔」
「こいつはぁ」
「言えって意味じゃなくて」
口の両端をこれでもかって下げて、すごくなにか言いたそう。なんだよ。つい、と肩を軽くぶつけても、その顔をやめない。すげーやれやれ感を出して、肩を竦める。棚を見て、1冊抜く。
「じゃ、たらしな律にはこれ」
「みたらし?」
「甘いタレ塗ってあげようか?」
勘弁。
嗤う灰野にノーを押しつけて、漫画を受け取る。
「少女……漫画」
「それで純愛を学んで」
「少女漫画って純愛なんだっけ?」
割とドロドロしているのもあったような。いや、読んだことないからわからないけど。ふーん、と鼻を鳴らしてパラパラ流し見。学園が舞台の恋愛モノかな。
「なら、読んでみるか」
「あとで私も読むから貸して」
「珍しい」
いつもは寝てるか、俺と話すかしかしてないのに。
どういう風の吹き回しだと思って見ると、灰野は視線に気づいてさっと顔を背けた。指先で横を流す。
「別に、律のおすすめなら合うと思っただけ」
「……」
さっきのやり返しなのはわかる。けど、これは……思ったより照れる。
俺なら、という信頼と共感、それにスパイスのような特別感が足されて、確かにあんな顔にもなるか。口元を隠して、波打つ心の水面を鎮めようと小さく咳払いしたが、わかって水面を荒らそうとする奴がいる。
「んー? どうしたのかなー? お顔が真っ赤ですよー?」
「成長期だから」
「林檎かな」
顔を背けても回り込んで追いかけてくる灰野から逃げ回る。そんなことを繰り返していたら、通りかかった店員さんに『店内ではお静かに』と申し訳なさそうに注意されて、揃って顔を赤くすることになった。
恥ずかしい。