第1部 第8章

第1話 校門前でデートの待ち合わせ

 せっかくの休日だというのに、空一面を灰色の雲が支配していた。
 日差しのない冷えた風が吹きつけ、まるで俺の鬱屈とした気持ちを代弁しているようだ。

「――私とのデートが憂鬱かな?」
「うわっ!?」

 校門の柱に寄りかかっていた俺に、突然声がかかる。
 危うくずるっと柱からずり落ちそうになって、慌てて後ろに手を回して支える。

 あ、危なかった。
 安堵の息をくと、横合いからくすっとからかいの混じった笑いが聞こえてきた。

「そんなに驚くことかい?」
「……驚かせようとしたくせに」
「ふふっ、なにか言ったかい?」

 不平をもらすが、ユーリは聞こえてないフリ。
 楽しげな高い声に唇を尖らせるが、彼女の反応に少しだけ安堵もしていた。

 いつものユーリだな。
 距離感を窺うような、ぎこちなさはない。

 からかわれて安心するというのもどうなんだと思うが、今日の目的がユーリの機嫌を取ることなのだから、出だしは順調なんだろう。
 たぶん。

 とはいえ、遊ばれて不満を覚えないわけじゃない。

「曲りなりにもデートなんだから、あんまり俺で遊ぶ、……な、……」
「どうしたんだい?」

 少しは自重しろとユーリを見て、言葉を失った。
 微笑む彼女はきっと俺が驚いている理由をわかって惚けているんだろうけど、そのことを指摘する余裕もなかった。

 普段は豊かな銀髪を下ろしているユーリが、今日はすっきりと結い上げていた。

 淡い水色のワンピースと白いシャツの装いは、華やかなドレスとは違う落ち着いた雰囲気がある。
 しかし、腰回りをきゅっと引き締めるおかげで、美しく映える体のラインは健在だ。

 華美な飾り付けは少なく、平服に近い質素なデザイン。
 それでも、シャツのフリルや胸元のリボンといった可憐さと上品さは残っていて、お淑やかなお嬢様であるのに変わりはない。

 そのおかげか、それともせいか。
 上品さを残しつつも貴族らしさは薄まり、可憐な街娘に見える。

 普段の“公爵令嬢”然とした綺羅びやかさもいいけど、なんだか……いつもより身近で、異性を感じてしまう。
 心臓の鼓動がやけにうるさかった。

「ふふっ、どうかな? 今日は街に出ると思って、あまり目立たない衣装にしてみたんだが、似合っているかな?」

 口元に笑みを浮かべて、不用意に顔を近づけてくる。
 ふわりと漂う甘い香り。

 香水?
 でも、嗅いだことのない香りだった。

 長いまつ毛をしばたかせ、蒼い瞳が上目遣いで俺を窺ってくる。

「近いって」
「感想は?」
「……っ、似合ってるよ」

 熱く、焦る心を上手く制御できない。
 せっかくのデートなのに突き放すように言ってしまったが、「ふふっ」と笑ってユーリは満足そうだった。

 逃げるように下がって彼女を窺うと、顔を赤らめて、口づけするように人差し指の甲を唇に触れさせていた。。

「デート、だからね。今日は頑張って耐えようと思っているんだが、……これはなかなか心をくすぐられて、難しそうだ」
「耐えるって、なにが?」
「こっちの話だよ」

 くすっと笑うユーリの表情に、どこか乙女らしい照れが混じっているような気がした。

 言葉の意図がわからず首を傾げていると、さらっと手を取られる。

「っ!?」

 久しぶりに感じるユーリの手。
 冷たく、繊細な感触に肩がびくっと跳ねた。

 目を見開いて隣を見ると、ユーリがこっちを見上げて微笑んでいた。

「エスコート、してくるんだろう?」
「……あんまり期待しないでくれ」

 喉に上ってくる熱に耐えながら、どうにか絞り出す。

 公爵令嬢が喜びそうなデートコースを、貧乏子爵の俺が考えつくはずもない。
 そんなこと、ユーリだってわかっているだろうに、

「するさ」

 と、繋いだ手をよりぎゅっと握ってくる。

 まったく。
 このお嬢様は俺を信じているのか、面白がっているのか。
 考えて、嫌になる。
 だってどっちでも俺が大変な目に合うのは変わらないから。

「私の旦那様とのデートだからね。期待するな、という方が無理難題だろう?」
「久々に聞いたな、私の旦那様って」

 感想のように零したら、ユーリが蒼い瞳を丸くした。
 すぐにふっと目元を緩める。

「……よく見ているね、私のことを」
「なんで嬉しそうなんだよ、別に普通だろう?」
「ふふっ、そうだね、普通だ」

 機嫌よく俺の手を引いて、ユーリが歩き出す。

「さて、旦那様はどこのレストランに連れていってくれるのかな? それとも、仕立て屋でドレスでも見繕ってくれるのだろうか? 心が踊るね!」
「期待を上げるな、下げろ地面をるくらいに」
「では、どこに連れていってくれんだい?」

 期待するように蒼い瞳を煌めかせるユーリ。
 どこって……、

「とりあえず、露店巡りかな」
「露店?」

 あまりわかってなさそうな公爵令嬢様に、街の遊びというもの教えてやるか。

「街の広場で日曜市があるんだ。食べ物とか、小物が売ってたりするんだよ。遠くから来た商人が珍しい物を売ってたりするし、見るだけでも楽しいぞ。ま、平民の楽しみ、かな」
「旦那様も貴族だろ?」
「名ばかりだけどな」

 生活も質素だし、ほとんど平民みたいなものだ。

「旦那様のエスコートだ。楽しみにさせてもらうよ」
「そう煽られると引き返したくなるんだよなー。やっぱり学園の食堂でいい?」
「構わないが、今回はデートだ。旦那様持ちだろう?」
「世知辛い」

 あんな貴族御用達の食堂でデート……考えただけで俺の精神と財布が死ぬ。

 選択肢はあるようでない。
 しょうがないと学園に背を向けて、広場を目指して歩き出す。