第2話 嬉しい女性扱い

 必要だろうと思われる材料は取り揃えてある。
 あとは学園と懇意にしている業者に頼むだけだったのが、それを自分でやることにした。

 非効率で、合理性の欠片もない。
 でも、祭りというのならやっぱり自分たちも関わりたいと思うのは、そうおかしなことでもないだろうと言い訳をする。

 そう、言い訳。
 わかっていても、学生時代を楽しむべきという寮母さんの意見に偏ってしまう。

 それは、俺が心のどこかで共感しているから?
 あるかどうかもわからない心は、俺の問いに答えてくれることはいつもない。

「ほう、これが看板になるのか」
「そぉ……だね」

 担いで運んできた身の丈以上にある木の板をユーリが興味深そうに見つめている。

 その傍らで、1人で材料を持って来た俺は息も絶え絶えに膝に手を突いて、息を整えていた。持てないほどじゃないとはいえ、流石に無茶が勝った。
 業者の人に運ぶ手伝いを頼むんだったと、後悔が白い吐息と一緒に零れ出る。

「私も手伝うべきだったかな?」
「んや、それは……」

 と、汗で張り付く前髪を拭って、「ない」と否定する。

「こういった、力仕事は男がやるべきだろ」
「……ふ、はは」

 言ったら、急にユーリが笑い出した。
 なんだ。
 急な反応に上体を起こして訝しげに見ると、いや、いや、と顔の前で手を小さく振る。最後に、またふふっと込み上げてくるような笑みを零して、心底嬉しそうに破顔した。

「されて嬉しい女性扱い、というのもあるものだね」
「ユーリは女性だろ?」
「うん、そうだけどね……されて嬉しくない女性扱いもあるだろう? 女だからと下に置かれるのは気に食わないんだ」
「あー」

 薄くなった蒼い瞳に剣呑さを感じる。
 過去を映すように虚ろで、口元の深い笑みとはあまりに対照的だった。

 納得……というか、そうだろうなという達観にも近い感情を覚える。

 貴族社会。
 家督を継ぐのは男で、女は嫁にという認識が常識として根付いている。女しか生まれなかった家でも、しょうがないから娘に家督を継がせるなんてことはしない。
 外から婿やら養子を取るのが一般的だった。

 その扱いを喜ぶ令嬢もいるだろうが、ユーリには……まぁ、当てはまらないだろう。
 規格外、例外。
 枠から外れる彼女には。

「特に下心は反吐が出る」
「反吐って」
「女らしくないかい?」

 からかうようにユーリが笑う。
 わざとか。
 そうであっても、認めるわけにはいかないが。

「男だろうが女だろうが、聞いてて不快な言葉は口にしない方がいいだろう」
「旦那様は真っ当だ」
「感性が庶民的なんだよ」

 とはいえ、俺もつい言っちゃうことがあると言ったら、それはそうと笑われた。人間、どれだけ自分を戒めたところで“絶対”なんてありえないというわけだ。

「その辺り、君の扱い方は好ましい。もしかしたら、私はそういうところが好きになったのかもしれないな」
「やめなさいほんとそういうの」
「かわいいね」

 微笑まれるともっと照れる。
 ユーリからすれば俺に好意を伝えるのは気持ちの吐露であって、なんら躊躇ちゅうちょすることじゃないんだろう。それでももう少し照れろと思うが。

 ただ、俺からすると不用意に返答できないし、ただただ一方的に想いを伝えられると簡単に心の許容量を超えてしまう。並々紅茶が注がれたカップに、さらに注がれているみたいなものだ。
 ……いや、この例えはよくないな。最初からユーリの気持ちでいっぱいみたいな……ほんとよくない。

「顔が赤いよ?」
「察しろ」
「では、いまは良い女であろうか」

 にっと笑って、ユーリは床に置いた木板の前に立つ。
 動きに合わせて揺れる長い銀髪を恨めしげに見つめ、はぁと体の熱を吐き出すように息をく。女性の扱いが難しいのか、ユーリの扱いが難しいのか。

「あぁ、ただ」

 ユーリが振り向いて、蒼玉を煌めかせる。

「次は、塗料くらいは持つよ」

 たぶん、どっちもなんだろうなと思った。

  ◆◆◆

「で、ここからどうするんだい?」

 刷毛はけと筆を構えて、ユーリはいまかいまかと肩を上下に揺らしている。
 勇み足だなぁと思うが、悪い気がしないのは彼女相手だからだろうか。女性への好意というより、領地の子どもを相手するような感覚な気もするけど。

「別にそれでもいいけど」

 もともと看板用の木板なので、下処理は済んでいる。だから、このまま描き出してもいいのだが、

「下書きなしで描ける?」
「ふっ、任せたまえ」

 おぉう、自信満々だ。

「私はなんでもできる天才肌だ。絵は初めてだが……なに、王国の歴史に残る1枚に仕上げてあげよう!」
「下書きするかー」
「旦那様の信用はどこで買えるのかな?」

 ちょっとだけ悲しそうだった。
 信用はあるし、才能があるんだろうなとも思う。でも、作りたいのはただの看板で、そんな大仰なものを描いてほしいわけじゃない。

「ユーリの場合、本当に国宝になりそうで怖いんだよなぁ」

 その逆で、ド下手という可能性もあるが……なんでこう予想が両極端になるんだろう、このは。
 平均的というか、普通なユーリが想像できない。

「もうちょっと可もなく不可もなくでいいんだぞ?」
「……つまり、息をするな、と?」

 無理らしい。
 そのまま息しててと伝えて、下書きのためにチョークを引っ張り出す。綺麗な棒状に整えられた白亜チョーク。これだけでも貧富の差を感じるのだから、この学園にまだ馴染み切ってないということなのだろうか。

 普通、丁度いいサイズに砕いた白亜を使うものな。
 加工には金がかかる。

「適当に金鉱石って書くか」
「私がやろう」

 振り返ると、その両手には刷毛が握られたままだった。

「まずそれ置こうね」

 前途というのは、こうして不安になるんだな。

 作業に取り掛かり始めると、天才肌というだけあって、チョークを握って看板に描く下書きは綺麗なものだった。研磨してあるだろうが、それでも木の板は凹凸がある。その上を、磨かれた大理石の上をなぞるようにユーリは白線を引いていく。

「上手いな」
「嗜みさ」
「淑女の?」
「私の」

 ユーリアナならできて当然、とでも言いたいのか。
 淑女よりも主語は小さいのに、鼻にかけた態度は大きくなるばかりだ。自惚れじゃないのが救いなのか、それとも不幸なのか判断に困るところだ。

 やる気満々のユーリに任せていたら、下書きは順調に進んでいく。
 なにか適当なことを描くんじゃないかと心配をしていたが、彼女がつまらないと言い捨てた俺の案を採用してくれている。“金鉱石”と大きく書いて、最後には金とわかる塊を描いてキラキラさせている。

 この調子だと、俺の役割って荷物運びだけじゃないか?
 雑用係ともいう。

 祭りの準備を楽しむというが、これでいいのか? と微かな疑問を大きくしようとしていると、「旦那様」と呼ばれた。なに、とユーリに顔を向けると、ふふふ、と含むように笑う。

「怖いんだけど」
「これだけじゃ味気ないだろ? もっと色々描こう」

 はい、と新しいチョークを渡される。
 俺もやれ、ということだろう。現状でも用途は十分満たしている。飾り気こそないが、看板の役目がなにがあるかを示すものなら、これ以上は冗長だろう。
 蛇に足を描くようなものだ。人はそれを蜥蜴と呼ぶ。

 でも、
「やるか」
 そういう無駄を楽しむのが貴族だというのなら、学園の生徒として、せめて鉱輝祭のときくらいは身を任せてもいいかもしれない。

「ただの金だけじゃ味気ないし、アクセサリーでも描くか。ネックレスとか?」
「くす」

 耳の近くで楽しげに笑みがこぼれた。

「楽しいね」
「かもな」

 これが社交の場でのやり取りなら、揃って無作法物と嗤われたかもしれない。
 貴族の歓談というのは冗長で、もっと言葉を飾るものだから。

 けど、この場この瞬間においてはこれが正解で。
 短いやり取りに気持ちが詰まっている。そんな気がした。