第1話 学校の授業になぜかいる伯爵令嬢
先生と呼ばれるのは、いまだに慣れない。
自分が教える側に立つというのが、分不相応な気がしているから。出来た人間ではない。そんな自身を卑下するような自覚がある。
それでも教師になったのは、仕事してやっていけて、お金が貰えるからだ。前世も今世も理由は変わらず、ドラマのような教師人生に一生を捧げるような熱意はなかった。
だから、こうして教壇に立って教室を見たとき、少し躊躇う気持ちが生まれて……て。
「…………どうして、アニス様がいらっしゃるのでしょうか?」
「出席確認にはまだ早いんじゃないかな?」
教卓の前の席。
そこには透けるような長い銀髪を揺らし、好奇心に満ち満ちた空色の瞳をキラキラさせているアニス様が座っていた。村の学校。出資者は領主様なので、その娘であるアニス様がいてもおかしくはないのだけど……生徒としているのは変だ。
周囲の生徒も困惑が勝っているようで、アニス様をチラチラ窺っている。そうなるよね、僕だって生徒だったら、遠巻きに様子を窺う。
「なぜ?」
「先生、質問するときは手を上げましょう」
「…………」
やけに重く感じる手を上げると、アニス様は満足そうに「はい、先生どうぞ」と質問を許してくれた。
「アニス様がどうして生徒に混じっているのでしょうか?」
「わたしが先生の生徒だからだね」
答えになっていない。
他の先生に聞こうにも、今日は僕しかいない。学校の先生は他に2人しかおらず、ひとりは病欠。老齢の先生も用事でおらず、だからこその代役だ。
確かに、アニス様に学校で授業をすることは伝えたけど。
そのときは、『ふーん』とどこか興味なさそうにしていただけだった。あれが演技だったのか、それとも当初はそこまで興味がなかったのかは定かじゃない。こうしている以上、裏で画策していたということなんだろう。その理由は……僕を驚かせたいから。
考えれば考えるほど頭が痛くなってくる。
なので、諦めて授業を始めることにした。
「今日は算術の勉強をしましょう。数の数え方は覚えていますか?」
「はーい!」
「……元気があっていいですね」
「わーい」
いや、わーいじゃなくて。
文字書きすら怪しい村の子どもたちと違って、領主の娘であるアニス様は数を数えるくらい簡単だし、なんなら普通に四則演算くらいできる。
女子高生くらいの知識はあって、その白々しさを指摘しかけて喉元で押し返した。
「…………では、授業を始めます」
指摘すると、いつまでも授業が始められないだろうという、そんな確信があったから。
◆ ◆ ◆
落ち着かない。
黒板に数字や読み方を書いている間、背中に視線を感じていた。そんなもの、授業をしていればいつも感じているもので、今日に限った話ではない。
でも、今日は教室にアニス様がいて。
以前とは質の異なる視線に筋肉が固くなっていく。まるで、授業参観の生徒の気分だった。この世界の学校にそんな制度はなく、両親とは疎遠になって久しい。
授業を家族に見てもらうなんて機会はなく、あくまでそんな気分というだけなのだけど、心境としては似ていると思う。
振り向くと、やっぱり彼女は僕を見ていて、目が合うと頬を緩ませた。それがまた、見守られているという気分になって、気まずくなって見ていられなくなる。
ただ、それで授業に支障が出るかというと、そうでもない。
今日はアニス様を合わせても生徒は10人もいない。畑仕事などの家業の手伝いをしていることもあり、毎日学校で授業を受けられる生徒はいない。
週に1、2回来られればいい方で、途中で帰ることもある。当然、学習の質は悪く、覚えも悪いのでもっぱら復習が中心で、実際のところ教師がやることは少なかった。
筆記用の石板――この世界は紙を使い捨てにできるほど安価じゃない――を使って、与えた問題を生徒たちが解く。それを見回り、わからないところを教えるのが教師の役目だった。
だから、支障はない……けど。
「……アニス様、解けましたか?」
「ごめん、先生を見てた」
ひとりの生徒だけを特別意識しているのは、教師として問題があるように思えた。言葉とは裏腹に、悪びれた様子もなく笑うアニス様を見ると、余計にそう思う。
◆ ◆ ◆
遠く教会の鐘が鳴る。
12回鳴り響き、正午を知らせた。
「授業は終わりです」
そう宣言すると、重圧から開放されたように生徒たちが体を動かした。近くの子と話だし、その放課後のような賑わいは学校に通っていた頃を思い出させた。
こういう空気は嫌いではない。
そのまま眺めていたくなるような懐かしさに駆られるけど、この学校に給食のような配給はなかった。だから、一度生徒は家に帰って、午後はまた来られる子だけが来るという仕組みだった。
帰る準備をしている生徒たちを眺めつつ、僕も身支度を整える。
「先生、今日はないの?」
「……なにがでしょうか?」
アニス様が内緒話でもするように、机から身を乗り出して口元に手を添える。教卓の真ん前の席とはいえ、なかなかに辛そうな体勢だった。少々、行儀は悪いけど、僕も教卓に身を乗り出すようにして顔を近づける。
机と教卓。
まだ距離はあるけど、彼女は耳元で話しかけるようにこしょっと囁いた。
「異世界の――ニホンのお話」
なんで知ってるの?
目を丸くすると、アニス様はにっと白い歯を快活に見せて笑った。