第3話 お酒の代償と寝物語
アニス様は僕とどうなりたいのだろうか。
朝、起きてふとそんな考えが頭に浮かんだ。昨晩のお酒が抜けきっていないからだろうか。それとも、それは言い訳で、ずっと気になっていながら、考えないようにしていたのか。
「……付き合ってほしいのかなぁ」
ベッドで仰向けになったまま呟く。窓から差す朝日が目を焼くようだ。
好きというなら、順番としてはそうなると思う。アニス様からも冗談交じりの口調であったが、そのようなことは言われた。だから、それを考えていない……ということはないのだろうけど、現在は好意を伝えてくるだけで留まっていた。
それは僕の態度が半端だからかもしれない。
「断っている……つもりではあるんだけど」
つもり、なんて考えている時点で足りていないのかもしれない。
実際、断る理由は沢山あるんだ。
貴族のご令嬢で、僕は平民。身分差。領主の娘となれば、余計にだ。
歳の差。僕は26歳で、アニス様は10代だったはず。正確な年齢はわからないけど、高校生と考えれば、手を出したときの不健全さが強調されるようだ。まさか、中学生ではあるまい。たぶん、そうあってほしい。
高校を卒業すれば、歳の差が10であろうともまだ……って、どうして言い訳をしているのか。
「付き合いたいわけじゃ……ない」
呟いて、まるで言い聞かせているみたいだと、体を動かして横向きにする。
それに最大の問題も残っていた。
「婚約者がいるんだ」
だから、付き合うとかそういう前段階でこの話は終わっている。
僕の好きかどうか以前に、婚約者がいる相手と恋人になったらそれは浮気で、民事で、犯罪に片足を突っ込んでいた。僕の気持ちどうこうではなく、あってはならないことだった。
「なら……大丈夫、だよな」
これ以上の進展はない……はずだ。
どうしてアニス様が僕を好きになったのかは気になるけど、それは一時の勘違い。若い少女が年上の先生に憧れるもので、ちょっとした火遊びだ。
やけどをする前に諌めるのも家庭教師、ひいては大人としての役目だ。
「それで、……いい」
結論は出た。
なのに、納得していないように言葉が喉に引っかかる。違う、そうじゃない、そんなはずない。僕は……望んでいない。否定を繰り返して、むしろ強く意識しているのが浮き彫りになるようだった。
考えれば考えるほど、ドツボに嵌る感覚。墓穴を自分で掘って、自ら埋まっているような気分だ。
とにかく起きよう。
そう決めて、体を起き上がらせる。なにかしていた方が悩まなくなるかもしれない。そのまま、ベッドから下りて部屋を出ようとして――ひゅっと息を呑んだ。
「……10時、過ぎてる?」
サイドテーブルの置き時計。
家庭教師をするなら、と領主様からいただいたもので、確かにあると約束はしやすい。比較的、値段は下がってきているけど、それでも田舎の家庭教師が持つには、時計は高かった。だから、最初は遠慮したのだけど、時間は大切だから、と領主様に説得されてしまえば、受け取らない選択肢はなかった。
その時計が10時を指している。そして、今日の家庭教師の時間も10時から、である。
「あはは……は……はぁぁぁあっ」
本当に悩んでいる場合じゃなかった。
◆ ◆ ◆
領主様に謝罪をしてアニス様の部屋に入ると、彼女はすでに席に着いていた。もう授業の準備をしているのか、と一瞬感心して申し訳なくもなったのだけど、その背中が丸まっていてすぐに違うと察する。
「……なにをなさっているんですか?」
「…………あたま、いたぃ」
机に突っ伏して、項垂れていた。
パブで飲んで昨日の今日だ。
半日経ったかどうかで、酒を抜くには時間が短かったらしい。そういえば、領主様が『今日は休みでよかったくらいだ』と、苦笑交じりに笑っていたな、と思い出す。
あれは僕への気遣いだと思っていたけど、娘への配慮だったらしい。……ただ、そうなると気になるのは、僕がアニス様をパブに連れていったことを知っているのか。
……想像しただけで気分が悪くなる。やめておこう。
「あまり飲んでなかったように思うのですが」
というか、一杯だけだったはず。
「すみません、今度からは誘わないようにします」
「それはいや!」
がたんっ、とアニス様が勢いよく席を立った。
その反応に硬直して目を丸くする。眼前には、焦りを見せるアニス様。これまで、不敵な態度を崩していなかった彼女なだけに、その余裕のなさに驚かされる。
体調が悪くて、取り繕う余裕がない?
「~~っ、いったぁ」
明らかな二日酔いなのに、急に立ったからだろう。落ちるように椅子に戻って、頭を抱え出した。素を覗かせるその反応は、どこか年相応の少女に見えて、どうしてか。ちょっとだけ、安心してしまった。
「生徒が苦しんでるのに、笑ってるぅ」
「いえ、そういうつもり」
というか、笑ってのか、僕。
指先で頬に触れると、指摘通り少し頬が持ち上がっていた。失礼だったな、と思うけど、机に頬をつけてこちらを恨めしげに睨んでくるアニス様が可愛くて、つい笑みが零れてしまう。
「いや、かわいいなって」
「……いまではないよね、それぇ」
嬉しいけどぉ、と悲鳴のような声をアニス様は上げる。その頬は僅かに上がり嬉しそうではあるけど、やっぱり頭痛が上書きするらしい。確かに、いまじゃないな、と思う。
でもきっと、いまだからこそ言えたことで、人生はとはままならないものだ。
「また、かわいいって言ってくれる?」
「えぇ、それは……はい、機会があれば」
「言ってくれないやつだー」
自分でも、日が空いてシラフで口にできるとは思えない。
「どうしてこんな日に限って……っ」
「本日はお休みにしてもよろしかったのでは?」
父親である領主様もお休みでいいと仰っていた。体調が悪いのなら、無理をしなくていい。学校のような集団学習とは違って、困る人はいないのだから。
「……嫌」
でも、アニス様は頭の上に手を乗せたまま、むずがるようにふるふると首を振る。
「先生と会えなくなる」
幼子みたい。
唇を尖らせて、欲求だけを口にする。稚く、どうにも愛おしさを覚えてしまう。それは婚約者のいる女の子相手に抱いていい感情ではない。
自分を諌めないといけない。それはわかっているけど、彼女は弱っていて、いまだけはアニス様の求めに応じてあげてもいいのかな、と思ってしまう。
それは優しさで。
でも、たぶん見せかけ。だって、僕がやりたいからと思っているから。
「なら、今日は休む勉強をしましょうか」
「……休むのに、勉強?」
「はい」
体のいい言い訳。でも、必要だとも思う。
前世の僕の死因は過労が主な原因だった。疲れていて、気づいたときには手遅れだった……という奴だ。家族に囲まれて天寿を真っ当するなんて幸せな死に方とは程遠く、享年34歳だった。若い……とは言えない年齢だけれど、死ぬには早すぎだろう。
今世は前世ほど忙しくはないけれど、それでも、休みが大事なのは変わらない。
顔を顰めながらも机から起き上がったアニス様が僕を見る。
「なにをするの?」
「なんでもいいんです。温かい飲み物を飲むでも、横になるでも。ただ、アニス様が休めるなら」
誰かのとっての休息は、アニス様にとっての休息にならないかもしれない。
友達に会って談笑して回復する人もいる。逆に、ひとりになってただ寝ているだけがいいという人もいる。休息の仕方だって、人の数だけあって、なんだっていい。
「なにそれ、授業じゃないね」
アニス様が笑みを零す。
今日初めて見せる自然な笑いに、こっちまで頬が緩んだ。やはり、彼女は笑顔がいい。
「実際にやって学ぶのも、授業ですよ」
「言い訳だー」
もちろん言い訳だ。
これを雇い主である領主様には知られたくはないけど、幸い2人きりだ。ドアの向こう側に侍女はいるかもしれないけれど、大きな声ではないので、聞かれることもないはずだ。
「なら、さ」
ぺたり、とアニス様が机に頬をくっつける。そのまま冬の空のように青い瞳を動かして、見上げてきた。
「話をして」
「話?」
「うん、先生の知ってる物語を聞かせて」
寝物語だろうか。意外な提案にどうしようかと悩む。
思い出すのは千夜一夜物語だけど、そういうのでもいいのか。それとも、子どもに聞かせる絵本のようなものがいいのか。
考えて、星の王子様が思い浮かぶ。
単純に好きだからというのもあるけど、話をせがむアニス様を一輪のバラに重ねたからだ。
「これは、僕の故郷にある物語ですが――」
小説すべてを覚えているわけじゃない。
細部は曖昧で、語り方だって決して上手くはなかった。それでも、アニス様は僕をその瞳に映して、静かに話を聞いてくれて。
その顔を見られただけでも、話をしてよかったと、そう思えた。
◆ ◆ ◆
「臨時職員……ですか?」
家庭教師の授業がない日。
自宅でアニス様の授業内容を考えていると、老齢の女性教師が訪ねてきた。領主の屋敷へ通うようになってから、学校に顔を出せていない。そのうち行こうとは思っていたが、なんとなく足が遠のいていた。
それがまさか、向こうからやってきて、その上頼み事をされるとは思わなかった。
「えぇ、他の先生が風邪を引いてしまって、頼めないかしら?」
そういう彼女の顔も、いいとは言えない。年齢を感じさせるシワがより深くなり、一気に老け込んだように見える。
古巣で、お世話になった人が困っている。
「もちろん、構いませんよ」
断るという選択肢はなく、お礼を告げる老齢の先生に気にしていません、と手を振る。
……気にしてはいないけど。
アニス様の顔が脳裏に浮かぶ。休みのことだし、彼女は関係ないはずなのに……どうしてだろう。
◆第2章_fin◆
__To be continued.