第2話 猫に群がられる令嬢

 寒空の下、わけもわからないまま追い出されてしまった。
 しゃり、と足の裏で雪が潰れる。
 手を広げれば手のひらに雪の粒が乗っては溶けていく。

「外套着ててよかった」

 と、自分を慰めるのが精一杯だった。

 入寮して以来、こんな強引な寮母さんは初めてで、少しばかり困惑している。なにかあるのかなと思うが、そのなにかを察せられるほど親交を深めているわけじゃない。

「まぁ、気になってはいたし」

 リオネル殿下がなにをしているのかは。
 ただ、寮母さん以上に、リオネル殿下とは親交がない。直接顔を会わせたのは2回だけ。社交界と離れの小屋。……猫の件を別にするともう1回増えるが、あれは正直見なかったことにしたい。

 けど、その見なかったことにしたい現実にもう1度立ち向かうのか。
 やだなぁ。
 でも、話さないと寮に入れてくれないかもと寮母さんの部屋の窓を見る。外からは窺えないが、さっきの話からして見ていてもおかしくはなかった。

「腹を括るか」

 首を括ることにならないといいけど。
 不吉な予感に白い息を吐き出し、雪で埋もれた道を歩く。ザクッ、ザクッと足跡を残しながら、リオネル殿下へと近づいていく。2階の部屋から見たときとは位置が違うのだが、やっぱりこちらにケツを向けてくる。

 悩ましい姿だよ、本当に。
 氷菓子でも食べたように頭痛がする。

「なにしてるんですか?」
「……っ」

 雪に埋まった頭を動かしたのか、小さく頭上の雪山が動く。リオネル殿下じゃないといいなー、と微かな期待をしたが、ズボッと出てきたのは貴族令嬢が憧れてやまない端正で怜悧な顔立ちだった。
 キリリと吊り上がった目元は健在で、とてもケツを突き出して埋もれていたとは信じがたい。

「久しいな、クルール。壮健であったか?」
「えぇ、まぁ」

 立ち上がって、雪を払うリオネル殿下。

「リオネル殿下もお変わりないようで」
「……以前、見なかったことにする気遣いを、と求めたのは私だ。しかし、代わりに皮肉を言えと望んだわけではない」
「皮肉を言ったつもりはないんですけど」
「そうか、なおさらたちが悪いな」

 じとっとした目を向けられてしまう。
 いつもは獅子のように鋭い眼光なのだが、いまはどこか柔らかく見える。年相応……というのが適しているかはわからないが、身近に感じる表情だ。

 ユーリにリオネル殿下と結婚するように進めるという提案を断ったから嫌われていると思ってたけど、案外そうじゃないのか?
 ひとまず、嫌悪の感情はなさそうでほっとする。

けいこそ、このような悪天候の中、どうして寮から出てきた?」
「出てきたというか、追い出されたというか」

 要領を得ない俺の説明に、リオネル殿下は訝しむように黄金の瞳を細めた。
 正直に説明してもいいが、理解してくれるか?
 寮母さんに相談しようとしたら、リオネル殿下に相談しろって追い出されたって。
 ……無理では?

 相手は学園内どころか、国中を見渡しても最高位の権力者だ。
 そんな相手に相談しろって、失礼極まりないのではなかろうか。しかも、リオネル殿下が政略とはいえ結婚を望んでいるユーリと一緒に過ごすための場所を探しているなんて。
 殿下じゃなくても、ぐーで殴られそうだ。

 なーにをしたいんだ、寮母さんは。

「クルール」
「はい」

 せっつかれては口にしないわけにもいかない。
 正直に話して、『もちろん、そんなつもりはありませんよ?』と否定しつつさっさと逃走しよう。雪に足跡は残るが、まさか追いかけて来るまい。

 気づかれない程度に腰を落としつつ説明すると、リオネル殿下が白い吐息を出した。それがため息だと気づいたのは彼の顔を見てからで、額に手を当てて苦々しい表情を浮かべていた。

「……あの人はなにを考えているんだ」
「?」

 寮母さんを知っているような口ぶりだ。
 リオネル殿下は寮生ではないので、もとから知り合いだったりするのだろうか? 貴族の学園にある寮母になっているだけあって、寮母さんもどこかの貴族ではあるはずだし、顔見知りでも不思議ではない。

「事情は理解した。卿の相談に乗りたいところだが、いまは手が離せない」
「忙しそうだとは思ってますよ」

 頭に雪乗ってるし。
 言葉にこそしなかったが、目が物語っていたのか、リオネル殿下は無言で頭の雪を払う。

「遊んでいたわけではない」
「そうなんですか?」
「……煽っているのか、思ったことを口にしているだけなのか、判断に迷うな」

 ごめんなさい、素直な口で。
 これ以上余計なことは言わないよう、手で口を塞ぐ。

 リオネル殿下は呆れたように「だから、ユーリアナ嬢に気に入られたのか」と零している。いや、心外なんだが。別にからかっているつもりはない。
 ユーリと同列に並べられたくはなかった。

「込み入ってるんですか?」
「そうだな。急いでいるのは事実だが」
「なにを――」

 しているんですか?
 と、事情を伺おうとしたら、「きゃーっ!?」と女性の悲鳴が聞こえてきた。
 なに、なんだどうした。
 まさか学園内に不審者でも現れたのか? と、声のした方を見てみれば、黒いなにかがじたばたしていた。

 近寄ってみると、それは人で。
 雪の上でコケたであろう黒髪黒目の女の子が、猫に群がられているところだった。

 構ってほしいのか、舐められているのか。
 厚手の外套の上からでもわかる大きな胸の上で白いふわふわした猫が丸くなり、彼女の頭上では縞模様の猫が肉球でぽむぽむおでこを叩いている。
 ふぎゅ、ふみゃ、と女の子の口から鳴き声のような悲鳴がもれる。

 なんだ、この状況。
 猫に弄ばれるなんてまず見ない光景に、気も抜けてただ見入る。
 見入って……あれ。
 この顔、どこかで見覚えが…………あ。

「オプシディアン様、か?」
「はぃい……ふぎゃっ」

 泣き声のような応答は、白猫がむんずと彼女の顔に乗って押し潰される。