第2話 妹に偽装婚約者を紹介したら、機嫌が急転直下

 本当にユーリを連れてって大丈夫なのか?

 旅路の間、そんな不安を覚えたのは1度や2度ではないが、本人は『旦那様のお嫁さんを信じたまえ』の一点張り。
 そういうところが信用ならないんだよ。

 そんな、快適ながらも騒がしい旅路を終えて、俺は実家の屋敷の前に立っている。

 玄関前に立って、屋敷を見上げたユーリが「ふむ」と思案するように声を漏らした。

おもむきのある屋敷だね?」
「素直にボロいって言っていいぞ」
「そうか、ボロいね」

 こいつはぁ。

 本当に言うか? と思うも、言っていいと許可を出したのは俺なので、文句も言えない。
 事実でもある。

 これでいて、ユーリを評するのなら素直でかわいい女の子になるんだから、表現というのは難しかった。
 本音を隠さないことは美徳だが、なんでもかんでも思ったまま口にすればいいというわけじゃない。

「確かにボロいけど」

 ヒビの入った外壁や石畳は、樹木の年輪のような年月を感じさせる。
 色味の違う屋根はデザインというわけでなく、塗装が剥げた箇所を塗り直していないだけ。

 立派なのはその大きさだけで、それはかつての栄華の残光だ。
 今となっては大きすぎてメンテナンスもままならず、かといって人を雇う余裕もないので風化ばかりが進む。

 住人も少ないのだから売れればいいのだが、廃れた鉱山の近くにある屋敷なんて買い手がつくはずもなかった。
 その結果、大きさだけは立派で、住むには不便すぎる屋敷が俺の実家だった。

 使わず放置してる部屋がどれだけあるか。
 思い出しただけでげっそりする。
 有効活用したいけど、今のところ使い道を思いつけていない。

 そうな、こんな家だったわ。

 帰ってくるまで懐かしさを感じていた屋敷も、いざ目の前にすると男子寮の方が過ごしやすかったなと思う。
 家族と離れてホームシックにでもかかって美化していたのかもしれない。

 なにやら我が家を見て感心しているユーリに、もう1度確認しておく。

「本当にこの屋敷に泊まるのか? 領内の宿屋は――」

 物置みたいな宿を想像して、思い留まる。

「……ここより酷いけど、今から出れば隣領の町に着けると思うぞ?」
「構わないよ。確かに少々古いが、作りはしっかりしている。それに、私は旦那様の実家を見に来たんだ。泊まらないという選択肢は最初からないよ」
「公爵家のお嬢様には厳しいと思うけど」
「大丈夫さ」

 なんの根拠があって、そんな自信満々なんだか。

 まぁ、ここまで本人が言っているのだから、これ以上は俺が口を挟む問題じゃない。
 甘んじて貧乏子爵のもてなしを受けてもらおう。

 そんなことを考えていると、扉の向こうから足音が聞こえてきた。
 玄関前で騒がしくしてたから、誰か気づいたのかもしれない。

 そのまま待っていると、勢いよく玄関扉が開いた。

「兄さん、おかえりなさい!」

 パッと花咲く笑顔で迎えてくれたのは俺の妹であるルルリスだ。
 そのまま飛びついてきそうな勢いで屋敷から飛び出してくる。

 喜び勇んで出迎えてくれたのは嬉しいんだが……なんでルルはメイド服を着てるんだ???
 かわいいし、似合っているけど。

 帰ってきて早々、俺の平常心を試すような事態に直面して困惑する。

「兄さんが帰ってくるって手紙で知って、そろそろかと思って待ってたんです! 学園に通うようになってから、なかなか連絡をくれない、……から、………………」

 蕾が花開いて、そのまままた閉じるようにルルから笑顔が消えていく。

 俺に向いていた視線は、ゆっくりと横にズレていき、最終的に隣のユーリとぱっちりぶつかる。

「……兄さん、誰、この女の人?」
「誰って」

 さっきまでと打って変わって地の底を這いずるようなルルの低い声に、喉が引きつりそうになる。
 長年一緒に暮らしていたけど、あまり聞かない類の声音だ。

 急転直下で機嫌が悪くなったのだけはわかる。
 俺がわかるのそればっかりだな。

 なんて紹介しよう。
 まさか偽装婚約者と言うわけにもいかないし、かといって公爵令嬢ですと素直に伝えてよいものか。

 どうしようと目でユーリに助けを求めれば、それはもう鮮やかな微笑みを浮かべた。

 あ、嫌な予感。
 ちょっと待てと止めようとしたけど、ユーリは俺より前に出てルルと向かい合ってしまう。

 警戒するように肩を寄せるルルに、ユーリは淑やかに表情を緩める。

「ご機嫌よう。私はユーリアナ、君のお兄さん――旦那様の婚約者だ。これから仲よくしようね、義妹君?」
「――兄さん?」

 俺と同じ虚ろな琥珀の瞳がこちらに向く。
『どういうことですか?』というルルの心の声が聞こえてくるようだった。

 俺だって、どういうことだって訊きたい。

 絶対、婚約者やら旦那様やら言うなって釘を刺したのに!
 なんで言った!?

 ユーリに目で訴えると小ぶりな胸を張って『やってやったよ』とばかりにどうしてか得意げだ。

 こうして妹からの冷たい視線に晒されて詰め寄られているのは、過去の教訓を活かせなかった俺自身のせいなんだろう。

 ユーリを信じちゃいけない。
 わかってたのになぁ。

「説明、してくれますね?」
「……はい」

 項垂れて、逃避するように仰いだ空は、俺の心境とは裏腹にどこまでも澄み渡っていた。